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[鹿踊]

しし踊りとは?

"しし踊り"は、東北地方を中心に伝承されている民俗芸能です。
鹿や猪、熊など"しし"を模した姿となり、五穀豊穣鎮魂供養といった祈りや
願いを託してお盆や秋祭りの時期に神社や寺の境内、民家の庭で歌い踊られてきました。

東北地方全域に伝承されているしし踊り、それぞれにどんな特徴があるのでしょうか?

都鳥鹿踊とは?

行山流都鳥鹿踊は寛永5年(1628)、

現在の岩手県平泉町の行水軒中津川清左ェ門義胤から「行山流踊」として伝授されたといわれ、以来今日までの長い間、多くの先輩達によって踊り継がれてきました。

宮城県北から岩手県南に伝わる鹿踊(鹿子踊や獅子躍などとも)は、鹿角をつけた鹿頭を

かぶり、和紙を巻いた長い竹竿を背負い、腰にさげた太鼓を叩きながら踊る「太鼓踊系鹿踊」です。

系統や地域によって「行山流」「金津流」「春日流」などの流派に大別されますが、

都鳥鹿踊は「行山流」の太鼓踊系鹿踊です。

私たちは「鹿の八ツ連れ」といい、中央に親鹿(仲立)その後ろに女鹿(角が小さい)、

両側に雄鹿(側)が6人、合わせて8人で踊る編成です。踊る人の頭には鹿頭をのせ、胴体を覆う垂幕には朱色の「九曜の紋」、春日並びに日月の四季を略した「十二揩子」、36の神々を象徴した「チドリ」を染め、背中には3メートルもある腰差(こしざし)とも呼ばれる「ササラ竹」(紙幣に相当する)、腰には「大太鼓」を付け、自ら歌い踊ります。

 

鹿踊の起源は地域・団体によって異なりますが、

おそらく人間が獣=シシに対する敬意から出発し、身近であり神聖な存在であった鹿の情操や生態を丁寧に観察し、舞踊化したものと考えられます。事実、背に負ったササラ竹が、踊るにつれてもつれ、からむ様子は、秋の七草が咲き乱れ、すすきの波を乗り越えて戯れ遊ぶ鹿の生態を偲ばせてくれます。特にも、大ぶりな太鼓とゆったりとした装束による悠長さ、重厚なもの腰と足取りは、行山流都鳥鹿踊を特色づけるものです。

なかだち

めじし

がわ


メンバー募集

都鳥鹿踊では、踊りに興味ある方から、

出演時のお手伝いから撮影の協力など

様々な関わり方を作っていきたいと

考えています。


活動の報告など発信もしています。
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